分けて考えたい 保育の質の向上議論(模式図)

以下、2枚のJPGのシートを貼っています。
簡単な解説は下方につけました。
図版は、ダウンロードも可能です。

(分けて考えたい 保育の質の向上議論1 エデュカーレStaff Blog 文責 おおえだけいこ)
(分けて考えたい 保育の質の向上議論2 エデュカーレStaff Blog 文責 おおえだけいこ)

【↑解説しておきます!】

保育の質の議論。
最近は多くの園でとりくまれていると思いますが、

そのとき、漠然と話し合いをはじめてしまうと、
「子どもを強く引っ張った」
「大人のことばが粗い」
「遊びのコーナーが乏しい」
といった、子どもへの直接の保育実践の質のことから、

「保育に生きる記録になってない」
「保育者の連携がとれていない」
という、間接的な保育の実践の質こと、さらには、

「2歳児を6人なんて無理」
「有資格者の割合はどうなの?」など、
制度の質のことまで渾然一体として話題としてのぼり、
話が拡散して結局「ガス抜きで終わり」のようなことにも
なりかねませんよね。

保育の質について、先生がたが話し合いをするとき、
はじめにすべきことは、
「どのステージのことをテーマに話し合うのか」ということを
明確にすることだと思います。

今日、話し合うのは、
●子どもへの直接的な保育の質?
●記録や同僚性、保護者との関係性などの間接的な保育の質?
●制度上の保育の質?
このうちどれなのか。

上の図では、「子どもへの直接的な保育の質」のことを取り上げましたが、
この質についても、
●A 保育の基盤の質(体と心の安全の保証──養護にかかわる)
●B 発達援助の質(多様な経験の保証──教育にかかわる)
の2つにわけて考えるようにできるといい。

Aの保証については「人権」にもかかわることであり、
保育者の専門性に含まれるとはいえ、
これは「やれてて当然」、ふつうのことだと思います。
(ふつう、というのは、
「平均的な家庭で通常やれてそうなレベル」のこと)

ですから、もし「大人の言葉が乱暴すぎるよね」
「無言で子どもの服を荒っぽく脱がすのはよくないよね」
という話題がでたら、それは「保育の基盤」についてのこと。
すなわち、図の中に示した「ベクトルA」の質の向上の話になります。

Aが保証された上で、
・どうやったら、より子どもの願いを叶える対応ができるのか
・どうやったら、子どもが主体的に遊べる環境設定が作れるのか
などを考えていく。
これが、図の中に示した「ベクトルB」の質の向上議論に当たります。

そして「質が高いかどうか」は、Bの対応がどのくらできているかで
判断されるものだと考えます。
(Aは、やれてても特別、質が高いとは言えない。
たとえれば、魚屋で魚が売られてるのと同じ感じ。
質が高い魚屋はどれだけ鮮度を保つかなど、多くの工夫がなされている、
ということ)


図はもちろん、模式的なものであり、現実はこんなにすっぱり
分けて考えられません。
もっと複雑に入り組んでいると思います。
また、何をして「ふつう」と考えるかも、
考え方はさまざまですよね。
そこも交えて、議論できたらいいなと思っています。

★この保育の質の向上議論の模式図シートは、
個人のFacebookのタイムラインに上げたメモについて(2021.3.18)、
多くの専門家の「友達」の方々からいただいた多角的な意見を取りこみつつ、
清書したものです。
ご意見をいただいたみなさま、ありがとうございました!♡

エデュカーレ スタッフ おおえだけいこ

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