創作活動の意義
万年筆のケースを手作りしました。
こんな感じで。
●ボディのフェルトは万が一、インク漏れをしても目立たない濃紺に。
●縫い合わせには、彩りのいいチロリアンテープを。
●お尻の部分には、穴の処理のために小さいボンボンを配置。
最近、つくづく思っているのですが、
身の回りにある人工物は、
すべて人の手によって「デザイン」されたものだということ。
小さな箱から大きな建物まで、
すべて、オールデザイン処理されている。
より使い勝手が良く、人を引きつける印象となるように。
雑誌の文章とても、みなさんの目にとまるときには、
デザイナーさんが句読点の位置まで決めています。
ちょっとしたお知らせのチラシだって、
作り手のデザインセンスが問われますよね。
翻って、園で行う造形活動。
その目的は、
「楽しい時間を友達と過ごす」
「感性を豊かにする」
「巧緻性を高める」
などなど。
それにプラスアα、
私は、「将来の経済活動に繋がっている」ことを最近になって意識しました。
お金の絡む話は、ピュアな保育者さんからはドン引きされそうなんだけど、
どんな仕事に就くとしても、デザイン力は必要になる。
農家なら、作った野菜にどういうラベルをつけるか、
営業職なら、ごひいきさんへ宛の文書をどう作るか、
コンビニで働くなら、どんなポップを作るか、
園の先生になったらば……どうでしょうか?
安藤寿康先生の双子の研究では、「創造力」(デザイン力に通づる)は、
後天的影響が大きいことがわかっています。
となれば、ふんだんに芸術活動を行う園での影響はかなりあると
思うのですね。
かくいう私も母が幼稚園教諭で、
描画活動に関して、個人的にかなり刺激を受けて幼少時代を過ごし、
私がイラストレータの道に進んだのは、母の影響がでかい、と自認してます。
私たちは、デザインに囲まれて生きている。
それはつまり、デザイン力がほとんどの経済的営みに関係しているということ。
そして園で行う造形活動が、とても大切な経験になっているということ。
そんなことをつらつらと考えています。
まあ、万年筆ケースは、売らない限り「自己満足」の世界ですが…。
念のため、製作メモを残しておきますよ!
(クリックで拡大表示されます)
実は、作りたくて作ったわけではなく、思ったようなものが売ってなかったから。
チロリアンテープは、両サイドを手縫いしてあります。
トップはR形に。
ボンボンを縫い付けたボトム部分。
周囲を「適当」に縫い付けてます。
デザイン力はまあまあなのですが、縫製技術がないのが課題ですね…。
(材料、50センチ以上でしか売ってくれませんでした。
これ一本だけの材料費なら、百円ちょっとじゃないかな?)